2016年3月12日土曜日

ジャズ喫茶ジニアスの夕べ



   東日本大震災から五年がすぎた、昨日。明治大学中野キャンパスで開催された、シンポジウム「希望としてのRe-wildering」にかけつける予定が、結局、仕事の打ち合わせがおして終了間際に中野駅に到着。
   管啓次郎さんがコーディネートされ、写真家の赤阪友昭さんも出演したイベントに、いけなかった。東日本大震災関連のイベントのなかでも、もっとも注目していた催しのひとつだっただけに、ほんとうに残念だった。

    肩を落とし気味に、次の打ち合わせへ。中野新橋にある名ジャズ喫茶「ジニアス」で、エッセイを依頼してくださったジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』の編集氏Uさんとお会いする。以前、発表した連作詩「Asian Dream」を読んでくださり、依頼してくださったのだ。

    気持ちを切り替えて、Uさんと楽しくジャズ談義。マスターの鈴木さんにご挨拶。道玄坂にジニアスがあったころ、何度かおうかがいしたことがあった。高校生のときだったかしらん。
    八千枚といわれるLPコレクションは健在。手短に打ち合わせをすませて、ぼくらは壁にうめこまれた巨大なJBLスピーカーのまえに陣取った。ビールと二杯目のテネシーウィスキーがあくころ、鈴木さんがこられて、「なにか、かけましょうか」。
    Uさんが、「では、モンクにしましょう」といって、バックのなかから、『耳の笹舟』をとりだす。詩集には、「セロニアス・モンクを聴きながら」というタイトルの作品があるのだが、あろうことか、Uさんが伝説のマスターにぼくを紹介すると同時に、詩を見せてしまったのだ。ぼくは、ただただ、恐縮して黙す。詩を読みおえた鈴木さんがかけてくださったのが、モンクの名盤『モンクズ・ミュージック』。なんと、ジャケットには生前ジニアスを訪れたモンク本人のサインがしてあった。

    お店にあった『スイング・ジャーナル』のバックナンバーをパラパラめくっていると、マイルス・デイヴィスが表紙の1970年11月号をみつけた。
    マイルスは前年に『ビッチェズ・ブリュー』を発表して、エレクトリック・ジャズへとターンしながら鮮烈なカムバックをはたしていたのだった。特集には、「マイルスの優雅な生活」とある。ロスの建築デザイナー、ランス・ヘイに依頼してリフォーム中のマイルスの自宅が撮影、取材されていて、おどろいた。マンハッタン、ハドソン河を見降ろす高級住宅街、リバーサイドドライブに建つ家を、数年前、ぼくも見物しにいったことがある。近隣でも有名な建築で、マイルスの注文で、外壁も内装もいっさい鋭角を使用していない。ひとことでいうと、アントニ・ガウディのカサ・ミラみたいなのだ。
    周囲の、チューダー様式の古きよきアメリカ建築とまったく調和しない威容は、かつて、すこぶる評判が悪かったらしい。このセレブな界隈にアフロ・アメリカンが住むというだけで、当時は騒がれただろう。なにせ、マイルスは銃で襲撃されたりもしているのだから。いまでは建築物としての名声もたかまり、保存運動もおこっているとか。

「居間に飾られている唯一のカラー写真はジョン・コルトレーン」

という記述をみつけ、ふたりでよろこんだ。

    「エピストロフィ」がおわるころ、鈴木さんがターンテーブルをチェンジ、Teru Sakamoto Trio『海を見ていたジョニー』をかけはじめた。津波で流されてしまった陸前高田の名店「ジョニー」からリリースされたアルバムで、ジョニーさんと鈴木さんは旧知の仲だという。「きょうはこれをどうしてもかけたかった」と、おっしゃっていた。 

   一曲目はマル・ウォルドロンの名曲「アローン・トゥギャザー」。一杯のコーヒーをまえに、ピアノにあわせて指をタップする男性がいる。ぼくらのテーブルに、また、あたらしいウィスキーがはこばれてくる。しばし、店内が静まり、音楽以外、なにもきこえてこない。

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