2015年7月29日水曜日

吉田町梅林で夕涼み









   桜木町に泊まった暑い夜。吉田町「梅林」で、夕涼みした。
    映画監督の黒澤明が通った「梅林」は、元町。こちらは、その姉妹店。看板に「磯料理」とあるが、中身は写真のとおりちがいます。
    じゅんさいとなすの水ぼたん、はもすい、お刺身、鮎のうるか焼など。〆は、餅米で鰻をつつんで炊いた、鰻の朴葉蒸し。鮎のうるか焼はたいへん美味。頭はかりっと、骨せんべいはパイみたいにしっとりふっくらしていた。酒は、銀嶺立山。
    おどろいたのは、蓼科の天然わさび。写真で板さんがおろし器にしているのは、エイの皮。かたい皮のいぼいぼで、おろしている。金属よりきめこまかくおろせるそうで、わさびはつんとくる刺激臭、からみがまったくない。むしろ、ふくよかな甘みさえおぼえる。刺身につけて食べる。おいしいわさびは魚の味をぐぐんとあげるのだ、ということをはじめて知った。ぎゃくにいえば、魚の味を決めてしまう決定力さえ、わさびという食物はもっている。
    甘味は、黒蜜をねりこんだ胡麻豆腐のあんみつ。これも、甘さひかえめでぼく好み。料理は、最後のほうじ茶まですべておいしかった。

2015年7月27日月曜日

『地形と気象』#32が掲載


   左右社ホームページで連載中の定型リレー詩『地形と気象』に、ぼくのターン、「#32」がupされました。
    ぜひお読みください。


ちょっと遅い告知になりました。

ぼくの前の大崎清夏さん、つづく暁方ミセイさんの詩も、涼味をたたえつつ、冴え冴えとしています。
    このプロジェクトもそろそろ、折り返し地点。今年の晩秋にはいよいよイベントも!?
    お楽しみに。

2015年7月25日土曜日

港のホテルにて



   横浜のおとなり、桜木町のインターコンチネンタル・ホテルでカンヅメとなる。前日に新詩集の件で思潮社の出本編集氏、今回も装幀をしていただく、ブックデザイナーの奥定泰之さんと打ち合わせをしており、初校を受けとっていたから校正もすすめた。
    部屋は海側で、ときおり、初校から顔をあげて海を見ていた。ふしぎなもので、青のかがやきと、無音の波の綾をながめていると、いいリフレッシュになる。ぼくの場合、ほぼ誤字脱字や表記ゆれをなおしてゆくだけ。でも、これがいちばん苦手な作業なのだ。おかげで、だいぶはかどった。
    冷蔵庫にあったバランタインの小瓶をちびちびやりながら。
    それにしても、たくさんの観光客が海外からきている。原稿は今回、アンティークものといえるルイヴィトンのアタシェケースにいれてきた。さる御仁からいただいたもの。最近、なぜかひとから「使わなくなったルイヴィトン」をよくもらう。スーツはブルックスのサマースーツ。エクアドルのパナマ帽をかぶったら、観光客からよく英語で話しかけられた。いったい、どんな職業に見えたのだろう。
    ひと段落して、オレンジの光に染まりはじめた海辺を散歩する。気温はまだ28度あったが、おだやかな真夏の夕べをたのしんだ。みなとみらいで働く妻と待ち合わせ、吉田町の老舗「梅林」へ食事にゆく。
    横浜の実家に泊まりにゆく妻を見送ると、ぼくはひとりホテルのバーへ直行。カウンターのむこうにも、夜の海が見える。カンヅメだから酒はひかえて然るべきだが、暑いので、いや冬から呑んでいたモヒート、ドライマティーニ、おかわり、げん担ぎにとミリオンダラー、などなど。
    ホテル泊のバーは、いけない。家路を気にしなくていいので、つい遅くまで粘ってしまう。ああ、二日酔いにならないといいな、と祈りつつ、ぼく以外は客のこないカウンターに閉店の深夜2時までとまり木していた。
   原稿、1時間半。バー、5時間。おお、詩よ。なんという、おおいなる無駄が、汝を書くことだろう。アンプの電源が落ち、ジャズのボーカルが消えると、ホテル全室の静寂がせまいバーにぎゅっと押し寄せる。
   そして昼間はまったくきこえなかった、かすかな、潮騒。

2015年7月22日水曜日

見沼の夏野菜





   ひさしぶりに田園ネタ。
   うちは農家さんや畑を趣味にしている方々から、いつも新鮮な野菜をもらう。おかげさまで、年間をとおしてほとんど野菜を買わないですむ。
    いまは、きゅうり、かぼちゃ、トマト、おくら、なす、すいか、が、ぎょうさんとれます。
   とれたてのとうもろこしを、炭火焼きにしてもってきてくれた農家さんがいた。ものすご〜く、あまい。
    それに加えて、ぼくは夏野菜のジュレ、ローストビーフをつくってみた。牛肉は最近、手に入らない埼玉産深谷牛の赤身。
    とうもろこしに、冷えたビールが最高です。ジュレのしたには、トマト、なす、みょうががあるのだけど、見えなくなっちゃった。
    ぼくの住むさいたま市の見沼区は、農業保護区の広大な田園が広がる。散歩をしていると、さまざまな野鳥と出会う。きのうは、ライチョウを見た。
    畑を借りることもできて、地元の方だけではなく、町に住むインド人の家族も来てたりして、めいめい好きな野菜をつくっている。インド人一家は祖国から持ちこんだ、インド原産種のほぼ球形のズッキーニを育てていたっけ。ふだん家で食べる伝統的なカリーにかかせないのだとか。もちろん、日本では売っていないらしい。
   そんななかのひとりが声をかけてくれ、プチトマトをその場でつんで、食べさせてくれた。農薬をつかわないから、ちょっと拭けば、食べられる。つんでから家に持ち帰る時間で、野菜はすでに味が変わってしまうのだとか。
    太陽と土の匂いがして、野菜も人間も、見沼特産の夕べ。
    いつかはぼくも、畑をやってみたいのだけれど、、あすから、コンクリートと海のベイエリアに出張。

2015年7月20日月曜日

鎌倉で人力車にのる





    みなさん、連休、いかがお過ごしですか?ぼくは今日、切なくも、原稿中。かわりに、このあいだいった鎌倉の話をひとつ。
   招待してもらい、鎌倉で人力車にのせてもらった。俥夫は「えびす屋」のカナメさん。人力車にのるのは、生まれてから2回目。仕事で倉敷を訪れて以来。当日の気温は32度ちかく。俥夫のカナメさんはまっくろに日焼けして、さすがひきしまった体をしている。午後3時からのせてもらったのだが、休日ということで、予約でいっぱいだった。
    ベテランのカナメさんは器用にすいすい鎌倉の路地を走ってゆく。20年以上、鎌倉に通っているけれど、見知った路地をすこし高い視座から車で走るのはとても新鮮だった。風がきもちいい。ぼくらは、寿福寺から妙本寺へ、滑川の琴弾橋をカナメさんのガイドをききながら走る。3番目の写真は滑川の琴弾橋うえから。カナメさんのガイドによれば、、この川には相模湾から風がよく吹きこむんです。すると、川辺の樹々の葉が鳴って。むかしのひとはそれを琴の音色になぞらえたんですね、、。
   ハイティーンのころ、ぼくは詩人田村隆一の『ワインレッドの夏至』を片手に、「名前を六回変えながら/鎌倉の町を貫流する」滑川を海まで歩いたことがあった。詩篇「滑川哀歌」ではそこに、レデンプトリスチン修道院のシスターたちが焼く、「風にはクッキーの匂いがまじっている」はずで、ぼくはその匂いをさがしながら歩いたっけ。
  「ぼくの下駄の音がひびくばかり」。散歩する田村さんの面影を瞼の裏に浮かべながら、車上から鼻腔をすましてみる。
   修行がたりないのか、当時もいまも、まだクッキーの匂いを嗅いでいない。

2015年7月17日金曜日

佐峰存、という詩人



   「現代詩手帖」投稿欄でも、しだいにその名が知られるようになっている詩人、佐峰存さんが第一詩集をだす。
    ご本人の希望で、その栞文を書くことになった。
    アメリカで育ち、大学も卒業したという経歴をもつ詩人。先鋭な視点をもち、詩の完成度も高く、たしかに既存の詩人にないオリジナルな語法と感性をもっていると思う。その詳細は第一詩集が上梓されてから、手にとって読んでみてほしい。
    これまで佐峰さんとは面識もなく、個人的なやりとりをしたことはまったくなかった。栞文の執筆を引き受けた際も、ゲラを読ませてもらってからご返事させていただいた。
    当然かもしれないけれど、純粋に詩を読んで出逢った、あたらしい詩人。
    佐峰さんとはすでに、イベントで共演する話がすすんでいる。
    昨日、自公与党により、大多数の憲法学者が違憲を指摘する戦争憲法案が通過してしまった。これだけ反対世論が多く、拙速な国会議論のあげく首相談話が「理解を充分に得ていない」なのだから、この国はほんとうに民主主義国家なのだろうかと、唖然としてしまう。
    公明党にいたっては母体である創価学会があれだけ平和主義だの詩だのを唱えてきたにもかかわらず、躊躇なく戦争憲法に加担してしまうのだから、人心を裏切るにもほどがあろう。
    いま多くの人たちとおなじつよい憤りを感じていたここ二日、ぼくはペンを片手に佐峰さんの詩とむきあってきた。そして、ふしぎと彼の詩がこころに響いて、慰めを得ていた。
    いま、日本では、ありえなかったことが平気で起こる。佐峰さんの流転の詩は、そんな世界をあたらしい理知と感性でとらえようとする。

2015年7月15日水曜日

そうだ、京都いくわよ




    という、クライアント女史のひと声で京都へ。新幹線を下車した途端、暑い!関東人にとって格別な暑さ。しかも今日は祇園祭り。去年もたまたま宵山の晩に来京していた。
    夕方、四条河原町はさすがにお店がとれないから、女史が予約していた東山白川端の老舗割烹「鈴江」へ(「このためにきたのよ!」)。京夏野菜のたいたんからはじめて、はも落とし、じゅんさい、はものつけ焼き、賀茂茄子、そしてお目当ての七輪で焼く若鮎。酒は、灘の臥龍梅。
    香る魚と書いて、あゆ。十年前から、はもを食べなければ夏がはじまらないという気持ちだったけど、おととしはじめて食べた鈴江の鮎には、降参した。まさに夏の水辺の宝石。現在、ぼくの「最後の晩餐」のトップに、かぎりなく近い。松茸とおなじで極めてシンプルな料理なのに、言葉にできない至福。ここの鮎を食べてから、築地で食べる海の魚をくさいとさえ思うようになった。頭から尾までばりばりいただく。からの皿をしばらく見つめて、来年もまた食べられるだろうか、食べられるといいな、とつい考えてしまった。
    懇意にしている木屋町の旅籠の旦那は、若狭の初鮎は格別、というけれど。それにしても、関東人にとってまさに酷暑の夏の京都には、どうしてこう、美味しいものが多いのだろう。この暑さは心底、勘弁してほしいが、魂の苦言を売ってでも、また来て食べたい。

2015年7月7日火曜日

ちょっとお休みのおしらせ


    新詩集のための作業と執筆に集中するため、勝手ながら、ブログの更新を7/15までお休みさせていただきます。
    再開後はまたぜひおつきあいください。

2015年7月1日水曜日

7月のポエトリーマガジン



   このブログでは、政治の時事的な発言や詩の時評的な発言は、原則、しないようにしてきた。国内外の出張も多いぼくは、「石田はいつもどこにいるのか、なにをして生きているのかわからない」という苦言?をよく耳にしていたので、本ブログはそんな方々への連絡帳も兼ねて書いてきたのだ。ブログはどこまでも個人のメディアなので、編集者さんのいないところで時局や他者の作品について言及はあまりしたくないな、という勝手な思いもあります。そして、文学的、政治的発言はなによりも詩作品の内部で、あるいは評論の仕事でしたいと思ってます。もちろん、その自分の考えを他のブログの書き手に押しつけるようなことはしません。いい時評ブログもありますし。
   ほんとうはこのブログ、旅と田園生活、地方の隠れたいい呑み屋とか骨董、古本についてしょうもないことを気ままに書くだけだったはずなのだが、、え?いまもたいして変わらない、、そうなんですが、もっと無為、無名のものをもとめて書いていたのです。まあ、ぼくの人生、無為徒労であることには変わらないけれど。
   前置きが長くなりすぎましたが、それでも、これはと思う文学の仕事があったとき、月一ぐらいで紹介させていただこうかな、と思うようになりました。きっかけは、十代の読者からのお手紙でリクエストをいただいたからです。
    第一弾は、若手新鋭が結集した詩と短歌のポエトリーマガジン「PIED PIPER」。現代詩の狂犬にして歌人、桜井夕也さんを発行人に、今号は草間小鳥子、主水透、中山みなみ、和合大地、山﨑修平、吉田友佳各氏が寄稿。いままさに頭角をあらわしつつある、フレッシュな詩の才能が一覧できる刺戟的な誌面だと思う。金押しのオリジナルロゴが光る、デザインもすばらしいですね。字組やフォントも、かっこいいこと。50頁をこえる誌面は内容ともに厚く、熱いな、とわくわくした。同調する、というより、おたがいが琢磨してスパークする、多様な作風を詩誌は有している。
    ちなみに今号のメンバーは、ぼくが2014年に「現代詩手帖」新人欄の選者を担当したときの入選者の方々が中心になっている。ぼくにとって、このリユニオンはとてもうれしかった。今年も投稿されている方、そうでない方も、がんばってください。そして、すてきな詩誌を継続してください。
    個人的な感慨はべつに、この詩誌は、ひとつのフロントラインをまちがいなく形成しうると思う。